ウラン山

 次の日は、朝から快晴だった。トゥンバイヤーは再会の酒宴のために、ひどい二日酔いらしい。

 今日はいよいよ赤い山と呼ばれるウラン・ウラに挑戦である。午前10時に出発準備ができていたが、ポラロイドの記念撮影のために着替えをしたり家族を呼んだりで、11時前にようやく出発できた。トゥンバイヤーに言わせれば、これもモンゴルではカスタム(慣習)らしい。

 ジープにソガラ氏を乗せて、西に走り、砂で埋まった大きな川の跡を北にあがる。前方の丘にゲルが見える。このゲルはソガラ氏の奥さんのお父さんと弟さんのものだった。このゲルのすぐ北にそびえるウラン山の案内人として、お父さんと弟さんがこのゲルからジープに同乗してきた。我々の調査隊はいっきに7人となった。

「大探検隊になった。」
 と、トゥンバイヤーが言った。

 川の跡をさらに上流に入り、山の麓にわけ入って行く。川の幅はだんだんとせまくなり、川岸に赤い砂岩の崖が迫ってくる。そして2台の車は赤い砂岩の山の斜面を登りはじめ、低い尾根をいくつも越えて行った。そして、我々はとうとうウラン山の奥深くまで入ることができた。

ウラン山  アルヒを天と地に捧げて、みんなで乾杯をした。そして案内の弟さんのあとについて、赤い砂岩の斜面を登りはじめた。この山の高さは平原から200メートル以上はあり、その高さの地層断面がどこでもすべて観察できる。尾根に出て、最も高い頂まで登る。そこには石を積んだオボーがあった。よく見るとその中には恐竜の骨やたまごの化石が積んであった。

 山頂からは山地の全体やまわりの平原、さらに遠くの山々が遠望できる。この山地は、幅20キロで長さが60キロはあるだろうか、なんと広いことか。赤い岩肌の山地が草原の中に広大に露出している。近くのゲルに住む彼らは、彼らの家畜を探すためにこの山によく登るそうで、この山やその周辺の平原はすべて彼らのテリトリーだと言う。

 遊牧民とはいっても、彼らはそれぞれ彼らのテリトリーをもっている。夏はよりよい草を求めてテリトリーの中で放牧地を転々とかえるが、冬の居住地はほぼ固定しているらしい。厳しい冬がくるまでに彼らは、家畜を十分に太らせることと同時に、燃料となる乾燥糞を十分に備蓄しなければならないのである。

恐竜のたまご化石  しばらく雄大な風景に見とれていたが、恐竜化石を見つけに北側の谷を下りはじめた。斜面のところで、くずれた土砂の表面に埋もれて骨化石の破片を見つけた。そこから何段か降りたテラスでは、斜めに傾いて重なる細かな小石からなる地層の中に50センチくらいの長さの大腿骨の化石と、そのすぐそばに直径が10センチほどの球形のたまごの化石を発見した。さらにその付近をよく探すと、球形のたまごの化石がいくつも集まってあった。

 斜めに傾いて重なる地層は強い水の流れで土砂が埋まる時にできるもので、その中にたまごの化石が集まっていることは、たまごが小石や砂とともに水流に流されて集められたのだろうか。たまごは砂や小石とともに流されてなぜ、割れなかったのだろうか。それともたまごの化石が密集するのは、扇状地の上に恐竜がたまごを産みつけたのだろうか。私の頭の中を疑問がかけめぐっていく。

 疑問を残したまま、我々はさらに谷合に降りて行った。そして、下ったり登ったりしながら化石を探した。我々はそのほかにも化石をいくつか発見したものの、それが彼らのテリトリーのものでもあり、また公式に許可をとっていないため、写真は撮ったが発掘して採集することはしなかった。

 赤い砂岩層は、バルンバヤンやズーンバヤンで見た地層と同じで、バルンバヤン層にあたり、地層の特徴もそれらとほぼ同じであった。赤い砂岩層や粘土岩層からなる地層の崖には、コンクリートのように固くなった砂岩層や礫岩層の薄い層が何枚も張り出していた。これらの地層は全体としてゆるく斜めに傾いて重なっていた。

 谷に降りたり山に登ったりしていたら、車を止めたところがわからなくなってしまった。私はウッジーといっしょだったが、他のメンバーとはとっくにはぐれてしまった。二人であちこちの尾根を歩いて、なんとか車のあるところまでもどることができた。

 車のところで待っていたサンペルガバが、我々にすぐに昼食のカップラーメンを用意してくれた。時間はすでに午後4時をまわっていた。

  1. ミンジン到達せず
  2. ラジオジャパン
  3. ズーンバヤンとバルンバヤン
  4. ソガラ氏
  5. ウラン山
  6. 病院のないゴビ
  7. 羊の解体
  8. 砂漠
  9. 大国の独善主義
  10. 炎の崖
  11. 恐竜の絶滅
  12. 泉のある村
  13. 恐竜化石の発見
  14. オーシ山

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