| 炎の崖 |
| 台地の北の縁を西に向かい、ハシャットと思われる付近にゲルがあったので、露頭の位置を聞いたがはっきりしなかった。ハシャットの露頭は斜面のところどころに地層が露出しているだけで、大きな崖はつくっていなかった。谷あいを車で降りて、その付近をあちこち探したが十分な成果はなかった。 その谷の川の跡を北西に下っていけば、バヤンザクの南側にでる。午後6時、まだ日没には時間があった。我々はバヤンザクの南に向かった。 恐竜に興味のある人だったら、一度は聞いたことがあると思う「フレイミング・クリフ(「炎の崖」ないしは「燃える崖」)」は、バヤンザクの南にある。バヤンザクとは、ザク(ゴビにはえるある種類の木)のたくさん茂るところという意味で、この付近のゴビのオアシスにあたる。 このバヤンザクの南側のゴビの縁に白亜紀後期の地層が露出する高さ50メートル、全長10キロにわたる西北西ー東南東方向の崖群がある。そして、その中央に北側に突きだした高い崖群がある。これを、1922年にここを初めて調査したアメリカ隊が「The Flaming Criffs」と、呼んだ。 インディー・ジョウンズのモデルといわれるロイ・チャップマン・アンドリュースが率いるアメリカ自然史博物館中央アジア探検隊は、この年にこの崖でプロトケラトプスの骨格化石やたまごの巣の化石を発見した。とくに、たまごの巣の化石は世界ではじめての発見であり、世界的にセンセーションを巻き起こした。 それ以後、ここではアメリカ隊はもちろんのこと、ソ連隊やポーランドーモンゴル隊などによって大規模な発掘調査が行われ、多量の化石が発見されてきた。 私は、以前から「炎の崖」をこの目で見たかった。いろいろな本でこの崖のことを読んでいて、自分の中にこの崖のイメージがどんどんと膨らんでいった。 我々は位置を確認しながら進み、午後6時半に炎の崖の西側にたどり着いた。夕日に照らされて崖が真っ赤に燃える日没前にここに到着するという、私の望みはかなえられた。しかし、うすい褐色の砂岩の崖は夕日に照らされていても、これまで見てきた白亜紀後期の地層の赤い崖ほど赤くはなかった。ただしこの崖群の印象は、西部劇にでてくるテーブル・マウンテン同様の雄姿で、私の想像していたものと一致した。 「ついに炎の崖に来たぞ!」 夕日が厚い雲にかくれ、風も強く、日没までにそれほど時間がなかった。我々は、炎の崖の1キロほど東側にもどり、風をよけるような場所を探してテントを張ることにした。テントを張りおえて西の空を見ると、厚い雲の下に太陽が再び顔を出して、台地の上に沈もうとしていた。 「まさか!」
炎の崖はほぼ東西の崖群から北側に突き出しているために、日没寸前の太陽の光がちょうどスポットライトのようにこの崖だけにあたる。そのために、この崖だけがうす暗い中に赤く輝いて見える。 「これが炎の崖だ。」 まっ暗になって岩のごつごつしている岩場を、迷いながらひとりでキャンプまでもどって行った。トゥンバイヤーたちは私の帰りが遅いので心配していた。食事をして、ソガラ氏にもらったシミンアルヒで静かな夜を楽しんだ。今晩はノンアルコール・デイにしようと言っていたが、我々調査隊員のその決意はきわめてもろいものだった。 「今晩は恐竜の夢を見るよ。」 |