ツォクト・オボー 

 空も晴れ、南に向かいまぶしく、暑くなってきた。私は長袖のシャツを脱ぎ、Tシャツになる。低地にはビンクやオレンジの草がはえていて、水たまりのような湖もある。先は長い、気楽に行こうと自分に言い聞かす。

 午後4時、低い岩山を越えて、川の跡を越え、また地平線まで草原のつづく平原盆地に入った。左側に低いススキのような草が茂る湖が過ぎ、また水平線しか見えなくなった。

 ラクダが一頭、そして車一台とすれちがった。今日中にどこまで行けるかが問題である。南ゴビのツォクト・オボーまで、60キロはある。

 午後5時前、白い岩の露出の前で車が止まった。この岩石は、古生代前期カンブリア代の石灰岩である。この石灰岩はモンゴルの中央をほぼ東西に横切って特徴的に分布していて、その北側にはおもにそれよりも古い地層や岩体が分布し、その南側には中生代の広い堆積盆地が広がっている。

 少し行くと井戸があったが、それ以外に見えるものは地平線、地平線、地平線。

 太陽は雲にかくれた。遠くに山並みも見えてきたが、まだ平原盆地の中にはかわりなかった。まばらな緑の中に赤い道が遠くまでつながっているのが見えた。この赤い大地は白亜紀後期に堆積した砂岩の色だ。私たちは、ようやく南ゴビの北部に到達していた。

 モンゴル語で、緑の草原はハンガイと呼ばれ、まばらで短い草のある荒れ地をゴビと呼ぶ。ゴビは砂漠でもなく、草原でもない。私たちの目の前に現れてきた途方もなく広い、まばらに草のある赤い大地がゴビである。

 東側に赤い砂岩の崖が見えてきた。ツォクト・オボーは近い。

 午後6時、塔のような建物が見えてきた。そして、アンテナがあり、ツォクト・オボーのある盆地に赤い砂岩の坂を下って行った。町の手前のガソリンスタンドで給油をした。

ソガラ夫妻 午後6時半過ぎに、南ゴビで私たちを案内してくれるソガラ氏のゲルに着いた。ソガラ氏は、トゥメンバイヤーの友人で、40歳ぐらいの背の高い厳強な体つきで勇敢な顔立ちの男で、前年の旅でもこの地域で私たちは彼にいろいろと世話になった。

 彼のゲルでは、モンゴルの慣習にしたがい、アイガルとシミンアルヒをいただき、今日の予定を検討した。もともとの予定だと、この町にはもう少し早い時間に着いて、ここから40キロ西にある私たちのために用意されたゲルまで行くことになっていた。しかし、到着が遅れたために、日没までにそこに着くことは不可能だった。

 ここから西はゴビが広がり、今までの草原の快適な道とはまったくちがう。前年の旅ではここで、砂に車輪がはまってスタックしたり、山側に入り込みすぎて道に迷ったところでもある。そんなところを日没後に走るのは危険すぎる。

 ソガラ氏とトゥメンバイヤーがモンゴル語でなにやら話していたが、結局私たちのために用意してくれているゲルまで、今日中に行くことになった。ソガラ氏はデールという長いモンゴル服にゴタルというブーツをはいて、頭にはハットをかぶり、ゴーグルをして、バイクにまたがった。
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