モンゴルの現実 

  平和大通りのドルショップの前で、私は他の三人と別れ、トゥメンバイヤーと二人で地質調査所の坂巻さんのところに行った。他の三人はウランバートル観光に、オトゴンさんの案内でラマ教の寺院であるガンダル寺に行った。

 坂巻さんのいるモンゴル地質調査所のJICAプロジェクト事務所は、平和大通りを車で西に10分ほど車で行った副都心とでもいえる一角にある。坂巻幸雄さんは、筑波にある地質調査所標本館におられた人で、1994年から1996年までの3年間JICAの鉱床開発のためのあるプロジェクトでこちらに来られていた。

坂巻さんと 私は前年にいろいろとお世話になったお礼や、またモンゴルで再会できたこと、それと最近のモンゴル事情などをお聞きに訪問した。

 坂巻さんは、いつものように優しく私たちを部屋に招き入れてくださり、私たちの今回の旅の成果について聞いてくれた。私は、彼のプロジェクトの進行状況などをお聞きした。

 前年に私が来たときには、ちょうど彼のプロジェクトの相手方だったモンゴル地質調査所が、突然、地質調査・分析・地質情報の三機関に分割されるというトラブルが発生した時だった。

 彼の話では、それ以後も相手側の組織や職員の変化があり、プロジェクト自体の活動がなかなか進まないという。

 モンゴルではソビエトから援助を受けていた時代、専門教育はロシア式のマニュアル学習で、教科書重視主義で行われていたという。教科書に書いてあること、権力に対して服従することが、教科書に書いてない独創的な考え方やより合理的な考え方をもつこと自体軽視されていたらしい。この傾向は、いわゆる以前に植民地だった国々に特に多く見られるが、植民地にはならなかったが日本でもその傾向は強い。

 現在のモンゴルまでいかなくても、私たちをとりまく状況は常に変化している。その状況の変化に合わせて、それぞれの組織はその方針にのっとった的確で合理的な対応と変革が必要になる。しかし、相当以前かまたはその組織が順風のときに作られたマニュアルに頼る人々は、現状の保守、特に自分の地位の保守に努力を傾ける。

 モンゴルではここ数年の政治的・経済的な変化は「激変」という言葉があてはまる。その中で、管理職は自分の地位の保守を第一に考えた。それ以外の者は、国家機関の職員でさえほとんど給料が支払われない状況の中、日々の生活費を稼ぐために独立する場合が多い。

 そのため、国家の機関でさえ、働く人がいなくなり、機能しなくなっているところが多い。モンゴル科学アカデミーもそのひとつで、すでに同様のことが起きている。アカデミーの優秀な研究員であったトゥメンバイヤーも、生活のために研究をすてて独立して会社を興している。それが、モンゴルの現実である。

 短い時間だったが、いろいろなことをお話して、お別れすることになった。坂巻さんはおみやげにと、私の探し求めていたアルヒと私の家族のためにカシミヤの手袋をくださった。
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