私の考える県立自然史博物館

柴 正博

静岡県立自然系博物館推進協議会連絡紙 1997年12月


はじめに

 第2回静岡県立自然系博物館推進協議会総会で、県企画課の方から「自然系博物館構想の中に科学館も含めて考えたい」という発言がありました。静岡大学の池谷先生がこれに対して、科学館と自然史博物館は本質的に異なっていることを述べられ、自然史博物館の建設を強く主張されました。私は博物館や科学館にかかわっている者として、自然史博物館に科学館を含める考え方には、池谷先生と同様に反対です。

 科学館は一見はなばなしく見えますが、既存の知識(概念)や技術を展示・普及する場所であり、道具仕立てに費用がかかるだけでなく、毎日のメンテナンスが必要で、さらに展示はすぐに陳腐化し、展示を更新すればさらに費用がかかります。科学館には収蔵庫はなく、学芸員は案内係か展示機械の補修要員となり、研究などする場所や時間もない場合があります。科学館的な博物館も同様に、その展示の維持のためにメンテナンスと展示更新の費用をつねに保証しなければなりません。

 博物館においてでさえ、動くものには保守のための人手と費用がかかります。単なるビデオの上映でも、モニターは5年ごとに交換が必要で、ディスクの駆動装置は2年毎のメンテナンス、さらにそのソフトはハード同様に長くても5〜6年後には陳腐化して、更新が必要となります。私たちの考える博物館に、「建物」も含め「機械仕掛けの展示物」という使い捨てのハードウエアーがどれだけ必要なのでしょうか。

 静岡県に博物館はなぜ必要なのでしょうか。つくられる博物館はどんな機能をもつべきなのでしょうか。もう一度、そのことを再確認して、私たちの博物館構想を考えてみたいと思います。


博物館の展示

 ここ15年の間に、日本各地で非常にたくさんの博物館が開館しました。その中でも特に最近、大型の県立自然史博物館が各地に建設されました。それらのうちには、広い展示室をもつだけでなく、多分野にわたる多数の専門学芸員や研究員と巨大な収蔵室、さらに大学なみの研究設備をもっているところもあります。

 自然史系の博物館の中には、担当学芸員が少なく、予算もほとんどなく、まともな収蔵室もないところも少なくありません。そのような博物館では、学芸員の仕事の多くは展示のメンテナンスや更新に係わることです。

 博物館をつくるというと、最近では大手の展示業者が展示設計・施工を担当し、博物館のコンセプトまで提案して統一したデザインで展示館をつくってくれます。展示業者はそれなりのノウハウを持っていて、学芸員がいなくても立派な博物館を完成させることができます。しかし、統一したデザインで完成した博物館の展示は、容易に修正や更新はできません。さらに完成までに莫大な費用を費やしているとなればなおさらです。

 また、いくらすばらしい展示をつくっても、それを何度も見に来る人はおそらく少ないでしょうし、展示の寿命というものは物理的にも内容的にもそれほど長いものではありません。おそらく、長く見積もってもビデオのハード・ソフトと同様に5〜6年といったところでしょう。

 展示業者は博物館の展示を完成させることが仕事であり、仕事が終わればみな会社に帰ってしまいます。彼らにとっての博物館建設は、博物館という「施設」が完成した時が完了となります。しかし、博物館で働く学芸員は、多くの場合博物館がそのように完成した時点ないしは完成する直前から彼らの博物館での仕事がはじまります。

 博物館をつくるということは、実は博物館の建物や展示(施設)をつくることだけではなく、博物館の仕事ができる場所と体制(機能)をつくることであるということに気がついていない人が多いと思います。

 博物館というのは、一般的には展示を見たり催しに参加したりする場所、すなわちそれは利用する人たちに主体がある「施設」と考えられています。しかし、博物館は本来、博物館活動の目的(物を研究し、資料を収集・保管し、その成果を広く人々に普及する)をはたすための機関であり、展示「施設」は博物館の普及教育(情報伝達機能)の一部であるにすぎません。

 博物館はその建物や中に収められている標本の価値が重要というだけでなく、博物館それ自体の活動が重要です。それは短期的なものではなく、永く将来にわたって蓄積されることにより、さらに価値を増すものと考えます。

 県立の自然史博物館を建設するということは、立派な建物や豪華な展示などの「施設」を作ることではなく、県の「自然」という財産をいろいろと調査したり保存したり、県民に知らせたり、県民自身がその仕事に参加できる場所をつくるということだと、私は理解しています。


自然史博物館の今後

 最近のいくつかの県立自然史博物館を見ると、自然科学の研究、特にその中でも地域の自然環境に係わる地質・古生物や動植物の分類・生態の研究については、今や各地の大学に代わって自然史博物館がその役割を担いはじめた感さえあります。

 しかし、現状ではそのような自然史博物館はひとにぎりで、日本のほとんどの自然史系博物館は学芸員も少なく、研究者として認められていないばかりか、研究する条件さえ備えていません。

 最近では、地球環境について多くの人が関心をもち、それぞれの地域はもちろん地球全体のグローバルな視点からも自然史博物館の担う役割が期待されています。さらに、生涯教育の重要性が語られ、その核としての博物館の存在や役割が見直されています。

 しかし、残念なことに現状では博物館は依然として自他ともに「展示・教育のための施設」という認識が強く、地域環境の研究センターとか情報センター、さらに生涯教育にかかわる教育機関、そしてこれらを統合したコングロマリット(複合組織体)という社会的認識や位置づけがされていません。

 また、縦割り行政の日本の環境では博物館のこのように広い活動は、縦割りに対して「横割り」するために、その活動をなかなかみなさんに理解されないのが現状です。

 今後、自然史博物館は普及・教育のための単なる展示施設ではなくなっていくでしょう。すなわち、自然史博物館は地域の自然環境や地球環境について地域の人々と学び、ともに研究して、その中で重要な「もの」や「情報」を保存・管理し、情報提供のサービスをしながら、それらの成果を交流しあうという機能をもった「場」や「組織」となるでしょう。

 特に地域の県立レベルの自然史博物館であれば、県民の税金で運営されていることを考えれば、単に人を寄せるためだけの施設でなく、その県の自然環境に関する「もの」や「情報」のデータ・バンクの機能をもち、県民がそれを利用できて、研究、調査や学習、交流ができるような、さらに県行政の中では自然環境に関するシンクタンク的役割をはたすべき組織であってほしいと考えます。

 その意味では、博物館の業務に環境関連の行政的内容も含め、県立大学とは組織上関連させることも必要かもしれません。


私の考える静岡県立自然史博物館

 静岡県は太平洋に面し、富士山や赤石山脈などの高山もあり、気候的にも地形・地質、さらに生物の分布も変化に富んでいます。低地から高地への地形断面でみると、気候では暖帯、温帯、亜寒帯、寒帯まであり、植生でみるとそれぞれが常緑広葉樹林帯、落葉広葉樹林帯、針葉樹林帯、高山帯にあたり、このようにいろいろな自然環境があることが、静岡県の自然を豊かにしています。

 このような自然の姿は、静岡県の地形や気候、それと自然のおいたちと深くかかわっていて、特にそのおいたちを知ることにより静岡県の自然の姿をさらに深く理解することができます。

 静岡県にはこの恵まれた自然を愛し、研究する同好会や研究会が多数あり、毎年観察会や研究会をフィールドで行っています。これらの活動は大学の研究者も含まれるものの、ほとんどが一般の市民の手によるもので、研究費さえなくその研究拠点となる場所さえないものがほとんどです。

 たとえば、それらの会の収蔵標本にしても、個人で保管されている場合が多く、組織的・系統的な収集や保管・管理ができないばかりか、現在その多くは散逸するおそれさえあります。これら個人の努力により収集されてきた静岡県の自然に関する標本やその研究、さらに普及活動は、自然を愛する静岡県民の財産であり、この活動を支援することに県民の税金が使われてこそ、県民のための生きた税金の使い方であると私は思います。

 静岡県には多くの県立公園や自然観察のために整備された場所もあります。また、各市には青少年の野外活動のための宿泊施設などもあります。そのような県や市の施設を自然観察や調査のための拠点とし、さらに充実・活用する形で自然観察情報研究所(博物館)として、市民も利用できるビジターセンター化してはどうでしょうか。

 静岡県立自然系博物館設立推進協議会の構想では、これは「テーマ館」にあたりますが、私は展示館というよりはむしろ自然観察のための拠点と考えています。そこには研究者(学芸員)を配置し、その地域の自然の情報収集を行い、それを市民にサービスし、来訪者には安い宿泊施設も備えて、調査・収集・交流・教育という博物館活動を展開します。

 これらの各地の研究所(分館)の整備とともに、中央に自然観察情報センターを設置して、全体の活動方針や収集標本、収集した情報のデータベース・センターとして機能させ、収蔵庫やサーバー、市民の利用できる研究室や図書室を整備します。

 静岡県立自然系博物館設立推進協議会の構想では、これは「中核館」にあたりますが、最初は展示館というよりはむしろ情報や標本の収集・整理・管理・研究・サービスなどの機能をもつセンターとして開設し、収蔵標本の充実にともなって展示も追加していってはどうでしょうか。

 そのセンターに行けば、ないしはそこにアクセスすれば静岡県の自然の現在や過去のデータがわかったら・・、すばらしいと思いませんか。センターには、簡単な展示室やレクチャーホールがあって、そこでは静岡県の自然についての簡単な紹介展示と各地の自然観察情報研究所(博物館)からのデータの紹介を行ったらどうでしょう。

 現在ある自然に関する同好会や研究会は、すでに自前でそれぞれ県立自然史博物館の活動と同様なことを行ってきていると思います。それならば、県が「自然系博物館?構想」をつくる前に、それらの会によって組織されている推進協議会自体が、博物館という「建物」はないけれど組織的に調査・研究・収集・普及・交流という博物館活動を行っていってはどうでしょうか。

 その活動に対して、県がスポンサーになれば、その時が県立自然史博物館のはじまりとなります。

 伊藤二郎先生が、「数年後に県立自然系博物館推進協議会は発展的解消をして、博物館友の会に移行するだろう。」という見通しを述べられましたが、県立自然系博物館推進協議会はむしろ自然史博物館という組織自体に移行するか、自然史博物館の運営のための評議委員会に移行すべきものかもしれないと私は考えています。


『博物館にいこう』へ戻る

『ホーム』へ戻る


最終更新日: 2010/06/05

Copyright(C) Masahiro Shiba