ちびまる子ちゃん

夏休みの自由研究 『ちびまる子ちゃん』

ぼしゅうちゅう 81号 1990年10月 柴 正博

 みなさん、「ちびまる子ちゃん」を知っていますか。日曜日の午後6時フジテレビ系列で放映されているコミックです。物語は、清水市に住む小学生3年生の少女の、1975年頃のなんの変哲もない日常生活を描いた少女漫画です。しかし、その少女のかわいらしいキャラクターと彼女と共通する体験をもつ幅広い世代の人たちの共感を得て、今年の夏には、あれよあれよと大変なブームになってしまいました。

 テレビの視聴率では、夏休みに25パーセント台になり、9月には35.8パーセントを記録し、「サザエさん」を抜きました。コミックの単行本は6冊出ていますが、その総部数が1千万部を突破しました。番組のエンデング・テーマ曲の「おどるポンホコリン」も、最近のレコード業界では超、大ヒットでシングルCDとカセットをあわせて150万枚を突破しました。また、「ちびまる子ちゃん」のキャラクター・グッズには40社以上が参入し、今年の夏のデパートや観光地ではどこでも大人気で、秋になってもどんどん新しいグッズが出てきています。

 このコミックの作者のペンネームは、「さくらももこ」さんといって、昭和40年5月◎日生まれ、血液型はA型で、身長158cm、体重?kg。清水市生まれで、家は新富町(静岡鉄道「入江岡」駅付近)で青果店をやっています。彼女は、入江小学校、清水第8中学校、清水西高校、静岡英和短大にすすみました。

 彼女は、高校時代から漫画をかいて、月刊少女漫画「りぼん」の「りぼん漫画スクール」に投稿していましたが、いわゆる正統派の少女漫画ではものにならず、自分の生活や感じたことをすなおに描いたエッセイを漫画にしたところ、1983年9月に「きらきら絵日記」で「りぼん漫画スクール」に入選しました。

 短大時代(1984年)に「りぼんオリジナル秋号」に掲載した、学校の先生たちのいろいろな人格を描いた「教えてやるんだありがたく思え!」でデビュー。その後も、「りぼんオリジナル号」などに、自分の体験にもとづいたエッセイ漫画「うちはびんぼう」、「あこがれの鼻血」、「特典つき飼育当番」、「たかがディスコに行くだけで」などを続々と発表しました。

 卒業後、いったんは東京で会社づとめをしましたが、漫画と会社の両立ができず、2ヶ月で退職。1986年の「りぼん」8月号から「ちびまる子ちゃん」の連載をはじめました。1989年6月には「ちびまる子ちゃん」で講談社の漫画賞を受賞し、これが契機となって、今年の1月から「ちびまる子ちゃん」のテレビ放映がはじまりました。

 このコミックは、作者の小学校時代の生活を題材にして描かれ、実存する地名や出来事などがそのまま登場します。作者が幼年時代をすごした1975年頃は石油ショックの前後でしたが、清水市の入江岡あたりでは、まだまだそれまでどこでも見られていた、駄菓子屋や空き地で遊ぶ子どもたちの生活がありました。

 このコミックが広い世代の人たちにうけている魅力のひとつは、駄菓子屋や空き地といった現在急速に失われてきている、誰もがもっている子どもの頃の思い出を、ノスタルジックに感じるところにあるかも知れません。また、このコミックは、子どもの目で見た世界がそのまま描かれているところにもその魅力があります。子どもの頃に誰もが感じたことが、すなおに表現されていて、共感を感じます。この点では、30年以上も前の設定で、おとなの生活から子どもを描いている、架空の「サザエさん」とはまったく異なります。

 なんの変哲もない、ふつうの女の子の生活を、誰でも書けそうな単純な線絵で描いているのですが、作者がとても感受性の高い少女だったことと、それを物語(エッセイ)としてまとめる能力にたけていること、さらに物語とその単純な線画とのバランスがなんとも言えなくほのぼのとしていることから、誰にでも受け入れられ、この作品が大変ヒットしたのではないかと思います。特に、作者と同世代の人たちにとっては、昔のギャグやお菓子の名前なども懐かしくてたまりません。

 私は、1972年に大学2年生として、清水市三保にきました。その頃、新富町かいわいには先輩や同輩が下宿していたこともあり、よく遊びにいきました。このコミックを見て、実名で登場する地名やお店に、同じ清水市に住む者として、つまらない事ですが、大変興味をもちました。作者がかよった小学校やラジオ体操をした空き地、クリスマス会をやった町内の社務所、かき氷を食べた駄菓子屋、七夕豪雨の時に被害にあった友達の「たまちゃん」の家は、いったいどこなのだろうか。

 現場主義の地質屋かたぎが頭をもたげ、新富町や入江岡あたりをルートマップをきりながら俳諧したい気持ちになりました。清水銀座での買物の通りすがりに、車や自転車で入江町付近の気にかかる場所をチェックしたり、身のまわりにある情報を調べ整理してみました。これには、「ちびまる子ちゃん」ファンである矢部英生くんやうちの奥さんに多くの情報や協力を得ました。

 「ちびまる子ちゃん」の作家、「さくらももこ」さんの本名は、おそらく「三浦○△」さんと思われます。現在は、結婚されて(名字はかわって)います。彼女が小学校3年生の時、この家には、おじいさん(物語では友造)、おばあさん、おとうさん(ひろし)、おかあさん(すみれ)、お姉さん(さき)の3世代6人がほのぼのと住んでいました。

 現在でも両親は青果店を続けています。青果店といっても、くだものや野菜が店先に置いてある、食料品雑貨も同居する小さな店で、看板もなく、うっかりすると通りすごしてしまいます。店には、おとうさんかおかあさんのどちらかが出ています。作者は、物語の中で実家を青果店としなかったのは、いちいちくだものをかくのがめんどうだったからと言っているそうです。しかし、私もそうですが、商売人(店)の子は、玄関のちゃんとある、ふつうの家に住むことにあこがれをもつものです。

Maruko02.gif (4039 バイト) 物語には、子供たちが遊ぶ公園や町内会の集まりなどが描かれています。その中で、クリスマス会をやった神社の社務所がでてきます。これは、実家から入江岡駅の方向に少し行ったところにある八幡宮の社務所だと思います。ここは、実家のある新富町ではなく、入江南町にあるのですが、もともと実家は入江南町商店街に編入されていると思われ、このような子供会の活動は商店街を中心とした催しと考えられます。

 また、この八幡宮は小さな公園にもなっています。小学生低学年の生徒までが遊ぶこのような小さな公園は、この付近に案外多く、近くでいえば新富町の公民館のある浜田踏切の近くの「若宮八幡神社」や入江南町の若葉公園などがあげられます。

 主人公がおでんやかき氷、駄菓子を買いに行った「みつや」という駄菓子屋が物語にはよく登場します。実際に「みつや」という名前の店があり、それは実家から追分方向に少し行ったところにあるお菓子屋です。しかし、この店はおでんやかき氷をやっていた駄菓子屋ではなく,パンや普通のお菓子を売っています。

 では、駄菓子屋の「みつや」はどこにあるのでしょうか。実家の付近には当時、駄菓子屋も案外多かった考えられます。その中でも近くてレッキとした駄菓子屋は、実家の斜め向いの「清水健康食品センター」と、社務所のある八幡宮の入口にあった「岩本商店(太鼓屋)」です。特に、「太鼓屋」は、昭和23年ころからやっていたという中身も外観も駄菓子屋の中の駄菓子屋といった感じのところで、おでんはここの名物だったそうです。

 しかし、現在では残念なことに閉店しています。この2つの小さな駄菓子屋は、「ちびまる子ちゃん」にでてくる駄菓子屋の絵と十分に重なります。しかし、原作をよく見ていくと、駄菓子屋「みつや」の絵や店の内容が時として少し異なることがあります。おそらく、作者は実際には複数あったお菓子屋や駄菓子屋を、一軒の駄菓子屋に代表させ、それに「みつや」という名前をつけたのではないかと思います。

 このように、「ちびまる子ちゃん」の中には、電柱の広告にでてくる「大原小児科」、店内を描いた絵が県下の絵画コンクールで入賞した「理容マンデー」、父親からジュウシマツを買ってもらった「青野小鳥店」、おかあさんがおばけの本を買った「四ッ葉デパート」(実際には四ッ葉は文房具屋)など、「みつや」と同様に実存する名前がいろいろとでてきますが、これらは物語と実際とは少しづつ異なり、名前だけ借りた場合が多くあるようです。

 また、「ちびまる子ちゃん」の同級生の中には「ハマジ(浜崎)」や「エビス(恵比寿)」といった名前が登場し、これらは清水銀座に実際にある「ハマザキ洋服店」や「エビス洋品店」などの名前と重なり、興味がつのるところです。しかし、「ちびまる子ちゃん」がいくら作者の自身の体験にもとづいたエッセイだからといって、フィクションであることには違いありません。ですから、登場する名前や出来事がすべて実際と一致するということはないのですが、ついつい地図や電話帳を広げて調べてしまいます。

 最後に、作者のペンネームである「さくらももこ」は、いったいどこからとったのでしょうか。実家から追分方向にいく道は、旧東海道にあたりますが、この道と大曲−桜橋を結ぶ道に面して「さくら幼稚園」があります。この幼稚園は歴史が古く、この地域では大きな幼稚園です。おそらく、作者はこの幼稚園にかよっていたのではないでしょうか。ペンネームの「さくらももこ」は、「さくら幼稚園」の「もも組」からとったのではないかと考えましたが、どうでしょうか。

 「ちびまる子ちゃん」がこれほどのブームになっても、車窓からチラリとみえる三浦青果店のほのぼのとした光景は、昔とそれほど変わらないように思えます。ブームが興じて、巡礼ファンや観光客のために店をやってられなくなることがあっては、とてもたのしい「ちびまる子ちゃん」をこれから見ることができなくなるかもしれません。この夏休みの自由研究も「ちびまる子ちゃん」一家のプライバシーに踏み込まないこのへんで、そろそろ終わりにしたいと思います。

追記(1999年2月):この文章を書いて1〜2年後に、三浦青果店はシャッターをおろし、ご両親は草薙に引っ越したとか、東京で「さくら」さんとくらしているとかいう噂を聞きました。本屋に行くと、「さくら」さんのエッセイがあり、私は性懲りもなく、また手にとって楽しませてもらっています。


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最終更新日:01/05/25

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