自然史博物館の使命
Mission of Natural History Museums



柴 正博
Masahiro Shiba

タクサ(日本動物分類学雑誌)2007年2月号に掲載したものに、
標本の重要性を追加した論説です。

ABSTRACT
Natural history museums are research organizations to investigate systems and historical organization of the natural world and to contribute to debate about what constitutes ideal human societies in both the present and future. Regional natural history museums bear two important roles, i.e., to investigate the regional natural environment and to collect and deposit specimens and materials from the region. A nationwide decrease in the number of professional and amateur taxonomists will lead to a serious depletion of natural science capabilities in Japan in the near future. Considering recent deterioration of social circumstances in Japanese museums, regional natural history museums should concentrate their activities on research and collections rather than education and should become centers of natural history study. Therefore, to conducting such basic research that affects human race's living right in the future should be the most important mission of natural history museums.


■はじめに

 日本における博物館は「展示館」ないし「普及教育施設」として始まったために,博物館は一般に利用する側に主体のある教育「施設」ないし公共のレジャー(余暇活用)「施設」と思われがちである.地方公共団体などの公立博物館の場合,「住民の税金でつくるのだから,住民が教育を受けたり余暇を過ごしたりするために利用することは当然」という考え方が強いと思われる.

 そのため,多くの博物館では展示や教育行事が優先されて,研究や資料収集および保存が省みられない場合も多く,また博物館活動の主体を担うべき学芸員が充分に配置されていない場合も少なくない.さらに,学芸員がいてもその地位や専門性はほとんど認められず,展示物の制作とそのメンテナンスおよび教育活動が主な業務とされ,単に行政職または教育職として数年で他の部署に異動させられる場合もある.最近では,博物館は行政からも「無駄な箱モノ」の象徴として位置づけられ,地方自治体の財政難や市町村合併などから経費や人員の削減,利用者数や収益率をもとにした博物館評価制度の導入,さらに指定管理者制度の導入などによって,その機能回復以前に存続の危機に直面している事態も多い.

 しかし,博物館の本来の機能には教育施設やレジャー施設という側面だけでなく,それが地域の自然や文化を対象としたものならば,地域の自然環境や文化財の資料と情報を総合的に収集し保存する機能があり,その資料や情報を研究し公開する研究センターとういう役割をもつ.大石ほか(1998)によれば,「施設」は外部利用者に主体があり,専門性を活かした独自の活動を展開する博物館は「機関」と位置づけている.したがって,博物館の機能という点からすると,博物館はその役割を果たすために活動する「機関」であり,利用者のための展示と教育はその機能の一部にすぎない.
 本論説では,博物館のうち特に自然史博物館がどのような機関であるかということと,その機能,さらに地域の自然環境研究における自然史博物館のあるべき姿と使命ついて検討する.

■博物館とは

 博物館法には,「博物館とは,歴史,芸術,民俗,産業,自然科学等に関する資料を収集し,保管(育成を含む.以下同じ)し,展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーション等に資するために必要な事業を行い,あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(社会教育法による公民館及び図書館法(昭和25年法律第118号)による図書館を除く.)のうち,地方公共団体,民法(明治29年法律第89号)第34条の法人,宗教法人又は政令で定めるその他の法人が設置するもので第2章の規定による登録を受けたものをいう.」と,博物館を定義している. すなわち,博物館法では博物館を「資料を収集・保管し,展示し,必要な普及教育・研究事業を行い,あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関」として扱っている.またICOM(国際博物館会議)の定義やUNESCO勧告でも,博物館は収蔵・研究・展示を系統だって継続し,後世に伝える業務を遂行することが謳われている.

 博物館とその機能については,滋賀県立琵琶湖博物館の運営基本方針の中に以下のようなわかりやすい記述がある.「博物館の事業を1本の樹に例えると,展示や出版などの事業は枝葉や果実にあたり,保管された資料は幹,研究調査は根にあたる.深く張りめぐらされた根からは現場での調査で得られた資料や情報が集められ,幹に蓄え加工された後に,展示などに活かされていく.1本のどの部分が欠けてもその樹が枯れてしまうことからも明らかなように,樹は部分がすべてそろって一体のものである.それと同様に博物館の事業はすべてが一体であり,一般の利用者から見える展示・サービス,広報出版といった事業が活発に行われるためには,根にあたる研究調査が活発におこなわれてなくてはならない.」

 この記述では,博物館は資料に関する調査研究が基本にあり,収集・保管された資料を展示や教育に活用していく博物館の事業全体の流れが表現されている.また,利用者に供する展示・教育を活発に行うためにも,文字通りその根幹をなす調査研究と資料保管の重要性が述べられている.

 博物館は教育機関の役割もあるが,博物館は教科書や図鑑にのっている既知の知識を来館者に教える場ではなく,来館者が実際の「もの」に接して体験しながら感動とともに学び,興味をもって調べながら学ぶことのできる場を提供する機関である.そのためには,博物館側が「もの」についての既知の情報を知っているだけでは十分でなく,その「もの」について常に研究し,博物館のメッセージとともにそれを示し,そしてそれを将来のために残していかなくてはならない.

 また,博物館は「もの」の周りに人が集まる場でもあり,調査研究や収集・保存,教育普及についても博物館の学芸員だけでなく,集まった人とともに活動を展開できる場でもある.そして,将来に「もの」を残すためには,「もの」自体とともに後継者を育て,「もの」についての調査研究を引き継がせていかなくてはならない.したがって,これらすべてのことを行うためには,博物館は「もの」についてのコミュニティーの場とならなくてはならない.

■自然史博物館とは何か

 この30年間に日本各地には自然史博物館が多数設置され,特に県立の大規模博物館がいくつも誕生した.また,市町村でも規模は小さいが地域の自然の特徴を活かしたユニークな自然史系の博物館も多数生まれた.

 各地でのこのような自然史博物館の誕生は,地域の活性化,理科離れの阻止,自然環境への関心,生涯学習の推進など,現在の社会的要求の高まりによるところが多く,そのために自然史博物館のはたすべき役割は重要となっている.しかし,日本における自然史博物館は歴史が浅く,その目的や機能について充分な理解が得られず,その機能を充分に果たすことができない場合が多い.

 千地(1978)は,「自然史」を次のように定義している.「自然史は自然科学の一分野で,自然界の構成員である鉱物・岩石,植物・動物などの性状,類縁関係,成因,相互のかかわり合い,進化発展の過程など自然の体系とその歴史を明らかにするとともに,人間の生活や文化の自然環境から受ける影響を明らかにして,未来の人類社会のあり方に対してその分野で貢献しようとするものである.」

 このことから,自然史博物館とは自然の姿を明らかにしてその成因や自然の体系を歴史的に理解し,現在と未来の人類社会のあり方に対して貢献するための研究教育機関と定義することができる.人をとりまく現在の自然環境は,地球誕生の約46億年前から形成されているとはいえ,そのほとんどは今から約200万年前からの第四紀以降,いわゆる氷河時代の中で私たち人類の進化や社会形成も含めて形成されてきた.その意味では,自然史博物館のテーマは,特に現在も含めた第四紀の自然環境の変遷,すなわち人と自然のかかわりについて最も大きな力が注がれるべきであると考える.

 自然史博物館は,その設立された目的や対象物および地域の特性によってさまざまなテーマをもつが,県立など地方自治体の自然史博物館の場合,その地域の自然の姿を記録し,その姿や生い立ちについて調べ,地域の自然と人とのかかわり,そして将来の自然環境のあり方について展示や教育活動を通じて普及するという機能をもつ.

 自然現象や自然の変化はいろいろな原因が絡み合って起こるため,その原因を知るにはその自然の成り立ちとそのメカニズムを明らかにする必要がある.現在は人工改変による自然環境の変化も著しく,地域の自然の状態をきちんと把握し,それぞれの地域での自然の成り立ちとそのメカニズムを明らかにするために,地域の自然の状態を常にモニターする必要がある.たとえば,自然災害や公害などによる環境悪化が起きても,それまでの自然現象や自然環境の変化について具体的なデータがなくては,その原因を科学的に探求し,自然現象の経緯と将来予測をすることは困難である.

 地域の自然環境の上に人々の生活がある.したがって,自然環境の姿や仕組みについての理解なくして生活(政策判断)をすることは,自然環境と人の生活との間に多くの歪みや問題をもたらす.自然環境の姿や仕組みを理解する仕事は,地質や動植物などの専門的な分類学的な研究手法が基礎となるため,特に公立の自然史博物館には地域の自然環境の姿や仕組みについての研究とその基礎資料の収集という大きな役割がある.

 大場(1991)は,地域の自然のもつ多様性はその地域にとって最大の環境資源であり,それを保全するための基礎資料を蓄積することは,展示や普及事業以上に重要な役割であると述べている.すなわち,これは地域の文化財と同様に,地域の自然を自然財として認識する考え方である.また,青島(1991)は,行政は自然の基礎的な調査により熱意を払い,住民の意識の向上に努めるべきで,その意味で自然史博物館は自然環境行政の中核機関として位置づけられるべきであると指摘している.さらに,大石ほか(1998)は,博物館は本来「研究機関」であって,その上で「社会教育機関」であるべきであると述べている.

 自然史博物館は本来,地域の自然環境の研究センターおよび情報センターであり,その上でそれらの資料をもとにした生涯学習にかかわる教育機関,そして行政の中では自然環境に関するシンクタンク的役割をはたすべき機関である.そのために,自然史博物館はこれらの機能が全体として統合されたコングロマリット(複合機関)であると,私は考えている(柴,2001).その意味で,博物館の研究員の7割が兵庫県立大学自然・環境科学研究所の教員を兼ねる兵庫県立人と自然の博物館(加藤, 1993)は,研究およびシンクタンクの役割を重視した自然史博物館のひとつのモデルといえる.

■地域の自然環境研究における自然史博物館の必要性

 現在,多くの人が地球の自然環境に大変関心をもっている.しかしその反面,学校教育の中では地球の自然環境を把握するために基礎となる地学や生物が重要視されなかったり,高校では選択によってそれらの授業を多くの生徒が受けられなかったりという状況もある.また,自然環境問題というと「ゴミを捨てない」など生活習慣や省エネルギー教育と摩り替えられ,肝心の自然環境の実態や変化を理解したり,その仕組みを探求したりという自然科学的なアプローチがほとんど含まれていない.地球全体の自然環境問題も,まず自分たちの住んでいる地域の自然環境の実態やその仕組みを知らなければ,実際に自然環境の何が問題なのかについて正しく認識することはできないと思う.

 最近では種の多様性を守り野生生物の絶滅を防ぐために,全国的にも地域的にも生物の分布,特に絶滅危惧種のリストが掲載されたレッドデータブックが発行されている.私の住む静岡県でも県環境森林部自然保護室が企画し,静岡県自然環境調査委員会による調査によって2004年にレッドデータブックが出版された.この調査を行った委員会のメンバーのほとんどは地域の動植物の研究会や同好会の会員で,大学などの研究者はほとんど含まれていない.調査の際に同定のために採集した標本も保存する場所や組織がなく,野帳データなどの記録さえも保存もされないまま,単に結果のみが公表された.レッドデータのような自然の現状を把握する調査では,当然証拠となる標本や具体的な資料情報は結果と一対の存在であり,追試・再確認や将来同様の調査を実施する際にそれらは必ず有効な資料となるはずである.しかし,現状では保管すらされていない.

 また,この調査委員会のメンバーの多くは高齢で各研究会や同好会では後継者も少なく,10年後に同様の調査があったとしても調査員が確保できるかどうか,実施も危ぶまれている.すなわち,静岡県において絶滅危惧種は動植物だけにあるのではなく,それを調べることのできる生物研究者にあるといえる.このような生物分類学における研究者および愛好家の減少は全国的な傾向と考えられ,それは子供たちの理科離れ同様に日本の自然科学の基礎研究分野が近い将来深刻な状況になることを示している.

 静岡県には県立の自然史博物館が無いため,そうした活動の中心となる機関や標本などを保存する施設もない.もし県立の自然史博物館があれば,レッドデータブックに関する調査研究はそこが中心となって実施し,標本や調査資料を系統的に整理保管することができたと思われる.また,博物館の学芸員または研究者が中心となって地域の愛好家にとともに,後継者を育てながらチームを組んで,市民参加の調査体制を計画的に構築していくことも可能だったかもしれない.地域の自然史博物館の役割を,私はその地域の自然の姿を記録し,その姿やおいたち,それとその自然環境の成り立ちのメカニズムについて,地域の人たちとともに調べて理解して,将来の地域の自然のあり方を検討する場であると考える.

■静岡県の例にみる自然史博物館へのニーズ

 静岡県には県立の自然史博物館が無いが,実際には一般市民からの県立自然史博物館に対するニーズが存在する.静岡県では1989年(平成元年)度より県立博物館整備に向けた検討をはじめ,1994年には自然系博物館整備の方向性が示され,翌年度に策定した静岡新世紀創造計画においては県立自然系博物館整備がその主要施策として位置づけられた.これと同じ時期に県内の地学および動植物の研究会が集まり,静岡県立自然史博物館設立推進協議会が組織され,県に対して設立推進の要望書などが提出された.そして,県では資料・文献等調査と県内にある標本の評価調査が行われ,それに続いて2001年度から2年間にわたり県内外各分野の有識者による自然学習・研究機能調査検討会(http://www.pref.shizuoka.jp/kikaku/ki-21/sizengakukentyousa.htm)が設けられた.

 この検討会では,県民ニーズや社会的要請からはじまり,自然学習研究のあり方やその拠点施設のあり方,自然系博物館の整備や運営について具体的に検討され,2002年10月に報告書としてとりまとめられた.この報告書の中で緊急提案された「散逸が危惧される標本・資料の収集・保存」については,2003年度から県によって自然関係の標本資料の収集保存事業として開始され,静岡県立自然史博物館設立推進協議会から発展して設立されたNPO静岡県自然史博物館ネットワークが委託を受けて現在もその事業が継続されている.しかし,報告書の主要テーマであった県立自然史博物館の設置については現在に至るもほとんど進展していない.

 自然学習・研究機能調査検討会では,自然系博物館に関する県民意識の把握と博物館の設置によってもたらされる県民の便益を評価する目的で,自然系博物館に関する県民アンケート調査を2001年夏に行った.このアンケート調査の対象は,県内各市に在住の20歳以上男女2,647人で,博物館等の利用状況や自然系博物館のもつ役割の認識,自然に関する施設の整備状況および費用便益分析のために自然系博物館整備に対する支払意志額(税金とは別に博物館運営にどれくらいの額を支払うか)などの質問項目が含まれていた.アンケートの結果は,1,132人から回答(回答率42.8%)があり,回答者の52.8%が自然に関する施設が不足していると答え,さらに回答者の72.6%が新たな自然系博物館が整備された場合「行ってみたい」と回答した.

 また,自然系博物館のもつ役割のうち,特に大切と考えている項目は,環境教育や生涯学習の場,標本の収集・保管の場と回答した人が多く,観光としての役割及び自然に関する県内学術研究の中心拠点としての役割を大切と考える人は少数であった.回答の中で博物館を標本の収集・保管の場と考えている人が多かったことは,博物館が単なる教育・学習の場だけではないという意識がすでに認識されていることを表していると思われる.回答とともに寄せられた自由意見では,「自然環境の保護,子供の環境教育の場,生涯学習の場として必要」とする一方,「新たな箱モノ整備に費やす予算を,既存施設の有効活用や自然環境保護事業に利用すべき」との声もあった.

 費用便益分析の結果は,自然系博物館が整備されたら「行ってみたい」という1世帯当たりの支払意志額がなんと月額299円あり,それを年額に変換し,静岡県の世帯数(130万世帯)の72.6%を乗じることによって単年度便益が約33.9 億円と算定された.これを30倍して割引率など掛けた値を,現在すでにある建築延面積約1万m2で年間入場者数約40万人程度の自然史博物館の建設費と30年間の運営費用を算定した額で割ると,1.35という値が得られた.この値は,県民の便益総額(支払意志額)が既存の博物館の建設・運営費用を上回ったもので,自然系博物館設置の検討を進めるに値する県民ニーズが存在することが判明した.

■地域の自然環境を把握する場としての自然史博物館

 全国的にみて,現在,自然環境の状態を把握するような仕事は誰が行っているのだろうか.全国の都道府県でそのような機関はどれだけあり,どのようなデータが蓄積されているのだろうか.そのように考えていくと,わが国には自然環境の状態を把握するような機関がほとんどないことに気づく.地域の自然環境についての数少ない県立の研究所としては,長野県環境保全研究所飯綱庁舎(旧自然保護研究所)や山梨県環境科学研究所などがそのような機関に該当するかもしれない.各県のレッドデータブックの作成についても,とりあえずいくつかの県で県立博物館や自然史博物館で行われた例もあるが,地域の自然環境の状態を把握することが地域の自然史博物館の役割のひとつとしてきちんと規定され,一般に理解されていことは少ないのでないだろうか.

 地域の自然環境の状態を把握する研究は,地質や動植物などの専門的な分類学的な研究手法が基礎となる.現在,このような研究をできる人がどれだけいるのだろうか.地域の自然史博物館は,地域の人々の生活や地域の自然環境を管理するための基礎資料を収集し,管理するという大きな役割をもっていると考える.この役割は,ひとつの機関や個人でできる仕事ではなく,地域の人々の協力や研究への参加が必要である.そのために,博物館ではこれらの研究とともに,その成果を展示・公開して,普及教育活動を行う中から多くの協力者を得る必要があり,そして博物館を地域の人々に開かれた研究・教育の場として提供し,活動の展開をはかるべきであると考える.

 地域の自然環境の実態やその変化を知るためには,地質や生物などの分類学的や生態学的な研究者の調査が必要である.分類学的研究や生態学的研究などの自然科学分野の基礎研究は,今や大学でほとんど省みられなくなり,専門の教員も急激に減少している.ひとにぎりの自然史博物館の学芸員がこれらの研究をほそぼそと継続できるとしても,それには限界があり,さらにこのまま大学で後継者が育成されないとすると,将来基礎研究の研究者が絶滅する危惧さえある.基礎研究がなければ,それを基盤とする応用研究もなりたたなくなるはずであるが,実績と効率が優先される現在の日本の大学では分類学や生態学などの地域的な基礎研究は淘汰される傾向にあるらしい.

 博物館はもともと大学のように多くの学生を教育し,研究者や専門家を育成する機能や組織をもっていない.したがって,このような学問の存続と後継者の専門教育は,本来大学で行われるものである.しかし,後継者育成については今やそのようなことを言っている状況ではなく,できるかぎり多くの人に後継者になる機会を与えて育成することが,自然史博物館の責務のひとつとなりつつある.

 また,大学は学生を対象とした教育機関であり,さらにその研究対象は地域に限られていない.しかし,今や独立行政法人化した地域の大学は,地域の自然環境や地域社会のニーズに対して積極的に取り組み,できれば地域の自然史博物館とリンクして,共通の研究テーマや教育テーマを設定して,共通の目的をはたすように相互に協力関係が築かれることを期待したい.

 地域の自然環境の研究はグローバルな研究に繋がることはもちろんであるが,その地域の中に暮らす人々とその将来にとって最も重要である.しかし,そのことが現在ほとんど認識されていない.そのため,各都道府県に自然環境研究所または自然史博物館がほとんど設置されていない.わが国において,地域の自然環境の研究と自然環境資料の蓄積は必要ないのであろうか.地域の自然に関する資料やその成り立ちのメカニズムについての考え方もなく,さらに自然環境を調査する人材も育成せず,私たちは将来の自然のあり方や自然との協調の仕方を科学的に議論できるのだろうか.

 たとえば,富士山麓のススキ原が牧草地やゴルフ場,別荘地に変わったことで,そこにすむ蝶の種類も数も変化した.清(1988)によれば,1985年に富士山西麓の朝霧高原で行った調査の結果,人の手が加わるにつれ自然環境にすむ生物が減少していく代わりに人為的環境にすむ生物が増加し,さらに人為作用が強くなると人為的環境に適応した生物も減少し,その段階では自然の生物を回復させることは不可能だったという.私たちは,将来どのような自然環境を望んでいるのだろうか.私たちは,変化する自然の状況にあわせてそのつど的確な手を打っていかなくてはならないはずであるが,そのための調査さえ行われていないのではないだろうか.

 また,私の住んでいる静岡市の海岸は,1975年頃から安倍川河口から海岸侵食がはじまり,1980年代にはその東側の久能海岸が,そして現在までに河口から約15km離れた三保の松原の海岸まで浸食が進んでいる.それまでは幅100mもあった砂礫浜が波にのまれて次々と消滅していき,沿岸を通る国道150線も崩壊した.そのため,毎年巨費が投じられて護岸工事が行われている.静岡市の海岸の砂礫は安倍川から供給されているので,安倍川の流出砂礫と海浜漂砂礫の量的収支および海浜での漂砂特性が海岸の姿を決定すると思われる.したがって,安倍川と静岡市の海岸における自然の成り立ちを認識し,流出砂礫量を管理していれば,護岸工事に毎年巨費をかける必要はなかったかも知れない.自然の成り立ちを認識するための費用は,これまで護岸工事に投じられた費用に比べれば極めてささやかなものだろう.

 県レベルの公的な研究機関の多くは,生活や産業に密着した応用的研究が主体で基礎研究はほとんど行われていない.それでは研究しても収益にすぐ繋がらない自然環境の基礎研究については,どこでだれが行うのだろうか.私は収益と密着している応用研究の一部はむしろ民間に任せ,収益にすぐ繋がらないため民間ではできない基礎研究こそ,現在の私たちと私たちの子孫のために行政が税金を使って行うべき使命と考える.

■自然標本の重要性と自然史博物館

 現在,主に自然史博物館などの生物標本について,国立科学博物館が中心となり自然史検索システムに登録する作業が行われている.この自然史検索システムは,日本全国の博物館や大学などの自然史標本データを横断的に検索するシステムで,各館の標本データを標準フォーマットに変換して公開するものである.また,この検索システムは,収集されたデータをもとに,日本における地球規模生物多様性情報機構(GBIF)に対応したデータにして,全世界に公開する.

 地球規模生物多様性情報機構(GBIF: Global Biodiversity lnformation Facility)は,OECDの国際的学術団体として2001年にデンマークのコぺンハーゲン大学付属動物博物館に設置され,正式加盟25カ国,準加盟として40の国の機関と組織が参加して,拠出金(日本とアメリカが各20%で最大)により運営されている.各国の動物,植物,微生物,菌類等生物多様性に関するデータを有する研究機関と博物館をネットワーク化して,全世界的な横断検索により利用することを主目的とした国際科学プロジェクトである.現在,欧米を中心として8,500万件以上の標本データが提供されている.

 日本では外務省が事務局となり,文部科学省,環境省,農林水産省などの省庁が参加した「GBIF関係省庁連絡会議」があり,実行上は文部科学省が中心となり,科学技術振興機構(JST)に「GBIF技術専門委員会」が設置されている.2004年度から国立遺伝学研究所(遺伝研)が日本のGBIF用の結節点(ノード)を運用管理しているが,遺伝研だけでは大学はもとより自然史系博物館の所蔵する自然史標本データのGBIF用データへの変換と提供に限界があり,国立科学博物館が主に自然史系博物館の電子データ化された標本資料の横断検索開発を進めている.そして,ここで収集された標本データを,日本語自然史検索システムのデータとして,さらにGBIFデータとして活用して国際的に提供して発信している.

 自然史標本が全国的にデータベース化されることにより,たとえば植物のさく葉標本であれば,採集当時の我が国の植物分布や生育環境がわかるだけでなく,絶滅種の確認,環境別・地域別の生育を知ることができる.さらに,わが国の自生植物について生物資源や遺伝子資源,さらには貴重な薬用資源に関する再調査や追加調査などの学術研究にも利用できる.

 データベースは,その中に含まれるデータができるだけ多くあり,さらに追加されるものが,すばらしいデータベースになる.たとえば,Web(WWW)は全世界的で巨大なデータベースであり,それを利用して私たちは即座に世界中の情報に,横断検索を使ってアクセスすることができる.

 自然史博物館の標本は,過去や現在の自然環境の実態としての証拠として残され,現在や過去の生物環境を知るための将来のデータとなっていく.しかし,もしも私たちが標本をほとんどもたなければ,将来の人は過去の自然環境について実物としての証拠を何ももたないことになり,過去の自然環境の実態を正確にとらえられないことになる.

 私たちは実際に自然環境の中に生活していて,自然環境はあって当然のものという意識をもっている.しかし,現在や将来の人の生活を考える上に,自然環境とその成り立ちをしっかりと知る必要があり,そのために過去や現在の自然環境の証拠としてさまざまな標本を残していくことが非常に重要である.そのことは,標本が将来に経済的な利益や資源として利用できる可能性があるということよりも,人類が将来自然の中で生きつづけるための権利,すなわち生存権に係わる問題に対してより大きく役立つということを意味する.

■地域の自然史博物館のあるべき姿と使命

 遠藤(2005)は,「本来博物館とは,例えば遺体を集め,例えば学術資料を収集し,そこから人類の新たな叡智を獲得していく,文化や学問や教育の根幹を支える組織であるはずだ.」と述べ,わが国では文化や学問や教育の根幹を支えるべき博物館が,公共事業や政治や行政の体の良い道具と化していると述べている.また,服部(2006)は,日本の博物館の大半を占める市町村立の歴史・郷土系の博物館はその地域の生活に密着したテーマとネットワーク化をはかり,県立などの中央大型館は体験学習や出前講座などの教育活動よりも調査・研究・収集にその力を集中すべきで,大学に替わって貴重な知識庫となる使命をもつべきであると述べている.

 地域の自然史博物館は,本論説では都道府県立の博物館を指すが,これまで述べてきたようにまず地域の自然環境研究センターであり,標本など自然資料の収集・保管する機能をもち,自然環境に関するシンクタンク的役割をはたすべき機関であるべきであると考える.したがって,一般的に博物館の機能の主要なものと考えられている展示・教育活動については別の機能と位置づけ,自然環境研究から得られた資料をもとに展示・教育活動を行う機関(展示・教育館)を併合し,全体として自然史博物館とするべきであると考える.

 また,自然史博物館における標本など自然資料の登録・保管については,学芸員または研究員とは別に標本管理担当者(コレクションマネージャー)を配置すべきで,登録・保管のための予算も別に確保すべきである.同様に,展示・教育についても教育担当者(エデュケーター)を別に配置し,博物館の展示・教育について全般を任せるべきである.博物館の学芸員または研究員は,研究調査や標本資料の収集に専念し,標本管理や展示・教育についてはそれぞれの専門担当者と協力し合いながら,博物館活動全体に寄与すべきであると考える.

 自然についての基礎研究の場をもたず,標本収集や資料保管もできず,そのうえ県内のレッドデータ調査ができる後継者も近い将来いなくなってしまうという現状は,静岡県に限られたことではないのではないだろうか.県立クラスの自然史博物館や総合博物館が設置されている都道府県でも,最近の経営評価や経費削減などで,中央大型館でさえ表面的な市民への教育活動や経費削減が博物館の重要な評価基準となり,博物館本来の使命である調査研究と資料保存ができにくい状況に陥っているのではないだろうか.

 先に示した静岡県における自然史博物館に対する市民のニーズでは,博物館を環境教育や生涯学習の場という認識の他に,標本の収集・保管の場と認識している人が多く,自然に関する県内学術研究の中心拠点としての役割を大切と考える人は少数であった.しかし,これまで述べてきたように本来の博物館の根幹をなす機能は,教育ではなく調査研究と資料保管にある.そして,現在の博物館を取り巻く社会的状況の悪化に照らせば,県立クラスの自然史博物館はむしろ地域についての調査研究の中心拠点にならなければならない.なぜならば,地域の自然環境の実態を調査する機会も人材もなく,その証拠としての標本や資料もなければ,だれも地域の自然環境の実態について知ることができず,さらに将来の子孫たちのために今残されている自然の断片さえも残すことができなくなるからである.
 公的機関が現在の市民ニーズに応えることはもちろんであるが,公的機関は行政の施策として本来のするべき使命や責務がある.県立図書館や公文書館が公的文書や重要図書を収集・管理するように,また文化庁が文化財を保護し管理するように,自然史博物館は地域の自然そのものの姿や成り立ちを明らかにし,その証拠としての標本や資料を収集・保存して,子孫のために今ある自然環境をなんらかの形で将来に残す使命をもつ.

■ 自然史博物館の研究ネットワーク

 地域の自然の姿やその成り立ちのメカニズムを解明する研究は,ひとつの機関や個人でできる仕事ではなく,地域の人々の協力や研究への参加が必要である.博物館の調査研究活動は,大学の研究者や学生だけでなく,地域の人々も含めた活動を展開できることが特徴であり,研究テーマはそれら地域の人々との活動の中から生まれるものこそ地域のための研究となる.そのため,自然史博物館ではこれらの研究とともに,その成果を博物館の研究報告や普及誌などで公表し,さらに市民参加型の普及活動や研究活動を組織的に進めていく必要もある.そのためにも,博物館は地域の人々に開かれた研究・教育の場として提供し,さらに活動の展開をはかるべきである.

 このような参加型の研究活動は,神奈川県立博物館が中心になって市民参加で行われた「神奈川県植物誌」の編纂(大場, 1985)や横須賀市立自然博物館が行った「三浦半島活断層研究会」の活動(蟹江, 1998),市民による専門研究グループにより行われた川崎市青少年科学館の「地域自然環境調査」 (川崎市青少年科学館, 1994)など,すでに多くの博物館で行われてきた.地域の人たちが協力者として参加するこのような研究会の活動では,学芸員や研究員は調査研究のリーダーであるとともに,研究会のまとめ役であり,博物館は研究会の活動拠点となる.

 滋賀県立琵琶湖博物館では,博物館を地域の情報をもった人が集い情報を相互に提供することで新たなネットワークをつくるような双方向の交流の場と位置づけ,研究分野でも学芸員の専門研究のほかに県内の多くの市民がかかわるいくつかのテーマの研究会をつくり,ユニークな調査研究が実施されている(布谷, 1997)という.

 地域の人々にとっての自然に関する研究・収蔵・教育機関であるべき自然史博物館は,さらに研究者や地域の人々もまきこんだ立体的,そして地域を越えたグローバルな発展が期待される.その意味で自然史博物館の学芸員や研究者は,自然の「もの」の専門家(研究者)であることはもちろん,後継者を育てる教育者であり,市民とともに行う研究活動のリーダーやマネージャーでなくてはならない.

 ひとつの自然史博物館ですべての専門分野の研究者をそろえることは不可能であり,むしろ博物館はその研究活動に個性を打ち出すことが必要である.それでは,ひとつの博物館で補いきれない研究テーマや機能についてどのようにすればよいのだろうか.

 日本の博物館のほとんどは,独立した組織ではなく,どこかの組織に含まれる従属機関である.たとえば,県立博物館は県にその人事や予算の決定権をゆだねている.また,多くの博物館はそれぞれが異なった「もの」を対象に個別の業務に特化していることから,博物館同士でさえ相互交流が少なく,組織を超えた人事交流が行われた例はほとんどない.

 松岡(1991)は,博物館の共通の問題,特に資料の保管と情報システム,地方自然誌研究,特別企画展について共同で行うための行政の枠を超えた自然史博物館ネットワークの必要性を提案した.現在,西日本各地の自然史博物館が環瀬戸内地域自然史博物館ネットワーク推進協議会を経て,NPO法人西日本自然史博物館ネットワークとして,情報交換や標本資料データベースの共有化などの活動を展開している.また,日本植物学会,日本地質学会,日本動物学会などの自然史関係の学会が集まって自然史学会連合が発足し,「地域博物館におけるナチュラルヒストリーの学術研究を強化する運動」というテーマで活動が開始されている.

 科学系の博物館については現在,全国科学博物館協議会があり自然史博物館の多くも加盟しているが,自然史博物館だけの全国的規模の組織はなく,また自然史博物館の学芸員の組織やネットワークもつくられていない.今後,自然史博物館同士が連携し,相互に協力し合える地域的,さらには全国的な組織がつくられるべきである.また,学芸員や研究員同士も同じ専門分野や特定の研究テーマなどで積極的にネットワークを組むべきである.

 そして,地域の自然史博物館は,地域の自然史研究を市民とともに行う中核機関としての本来の使命をはたし,全国的な自然史博物館が参加する組織やネットワークでは共同研究や総合研究と人事交流などを組織的に行い,その結果として地域の自然史博物館が日本における自然史研究をさらに推し進め,発展させることを期待したい.

■まとめ

 自然史博物館は,自然の姿を明らかにしてその成因や自然の体系を歴史的に理解し,現在と未来の人類社会のあり方に対して貢献するための研究教育機関である.特に都道府県立の自然史博物館は,地域の自然環境の姿や仕組みについての研究とその基礎資料の収集という大きな役割がある.このような研究や資料収集は人類の生存権に係わる活動である.したがって,地域の自然史博物館は地域の自然環境研究センターであり,標本など自然資料の収集・保管する機能をもち,自然環境に関するシンクタンク的役割をはたすべき機関である.

 生物分類学における研究者および愛好家の全国的な減少は,日本の自然科学の基礎研究分野が近い将来に深刻な状況になることを示している.また,最近の博物館を取り巻く社会状況では,地域の自然史博物館は教育活動よりもむしろ調査・研究・収集にその力を集中すべきであり,このような基礎研究にこそ自然史博物館の使命があると考える.今後は自然史博物館同士が連携し,相互に協力し合える地域的,さらには全国的な組織がつくられるべきであり,日本における自然史研究がさらに発展することを期待したい.

引用文献

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最終更新日: 2007/05/18

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